mints magazeine 長門芳郎のマジカルコネクション  

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#028 2008_1月号
ファースト・ソングス
ソニーレコード SICP-1624
<紙ジャケット仕様完全生産限定盤>
2007年12月16日発売
イーライと13番目の懺悔
ソニーレコード SICP-1625
<紙ジャケット仕様完全生産限定盤>
2007年12月16日発売
ニューヨーク・テンダベリー
ソニーレコード SICP-162
<紙ジャケット仕様完全生産限定盤>
2007年12月16日発売
ゴナ・テイク・ア・ミラクル
ソニーレコード SICP-1627
<紙ジャケット仕様完全生産限定盤>
2007年12月16日発売
LIVE AT THE BOTTOM LINE
ヴィレッジ・グリーン<廃盤>
An Evening with LAURA NYRO : LIVE IN JAPAN 1994
ユニバーサルUICY-1139
TIME AND LOVE : THE MUSIC OF LAURA NYRO
ASTOR PLACE<輸入盤>
Angel In The Dark
ROUNDER<輸入盤>
飛翔〜ライヴ・アット・フィルモア・イースト
ソニーミュージックダイレクト MHCP-244


 1997年4月8日、ニューヨーク滞在最後の夜。明日は、早朝6時過ぎの飛行機でロス・アンジェルスに向かわねばならない。3日間の滞在中、結局、ローラとは連絡が取れず、会うことはできなかった。連絡がつけば、今回こそ、コネチカットの彼女の自宅を訪ねるつもりでいた私。毎日1度は電話を入れるようにしていたが、いつも留守録だった。前日には、グリニッジ・ヴィレッジのピーター・ゴールウェイのホーム・スタジオで、彼が制作途中の、ローラのトリビュート・アルバムの一部を聴かせてもらったばかり。そのトリビュート・アルバムの件で、ピーターも彼女と話したいことがあったらしいのだが、連絡が取れないと言っていた。あまり遅いと申し訳ないと思い、9時過ぎに最後の電話を入れると、やはり留守録音のまま。次回来た時はぜひ会いたい旨、メッセージを残しベッドにもぐり込んだものの、なかなか寝つけず、夜が明けてしまった。後ろ髪を引かれる思いのまま、早朝のニューヨークを発ち、ロス・アンジェルスへ。空港には、友人が迎えに来てくれていた。車に乗り込んだ直後、彼の口から出たのは、ローラ・ニーロが昨夜、亡くなったという信じられない言葉だった。取り乱す私に驚いた友人は、一緒に食事に行く予定を変更し、ホテルに直行。すぐにニューヨークのピーターに電話をすると、彼もショックを隠しきれない様子。飛んで戻りたい気持ちだったが、翌日からLAでのレコーディングの仕事があり、どうしようもできない。駆けつけられない代りに花を届ける手配を済ませた後、その日、何をしたのか全く憶えていない。
 1997年4月8日、ローラ・ニーロ逝去。享年49才という若さだった。彼女と最後に言葉を交わしたのは、その2年ほど前のこと、コネチカットの自宅に日本から電話を入れ、お互いの近況を伝えあい、再会を約束した時。その頃、既に彼女の体を病魔が蝕みはじめていたことなど、本人も思いもよらなかったのだろう。
 1994年2月16日。ローラは、2度目のコンサート・ツアーのために日本を訪れた。来日メンバーは、ローラ、ハーモニー・グループの女性3名、ロード・マネージャーのマーティン・デマルティーノの計5名。ハーモニー・グループのダイアン・ウィルソンは、ジョン・サイモンのレコーディングにも参加、来日時にも会っているし、マネージャーのマーティンもジョン・セバスチャン1977年の来日時に会っていたので、最初から和気あいあいで、いい雰囲気でツアーはスタートした。私は、 引率マネージャーとして、東京−大阪−神戸−名古屋の4都市を回る全6公演のツアーに同行、彼女と共に過ごした9日間は、13年を経た今顧みても、我が人生の中でも最も幸せな時間だったと思う。彼女のデビュー以来、その音楽、歌声に恋焦がれつづけてきた私にとって、彼女の再来日コンサートを実現させることが長年の夢であったし、そのコンサート制作に関わり、ツアー・マネージャーを務めるなど、夢のようなこと。1972年の初来日時は、観客のひとりだったのだから。移動中の新幹線や楽屋、ホテルでもいろんなことを語り合った。自身のレーベル、ルナ・ミスト設立の構想、『ゴナ・テイク・ア・ミラクル』の続編とも言うべきカヴァー集やハーモニー・グループとのレコーディングのアイデアなど。その際、アドヴァイスを求められ、共通の友人であるピーター・ゴールウェイをプロデューサーとして推薦、ついでにマーサ&ザ・ヴァンデラスの「カム・アンド・ゲット・ジーズ・メロディーズ」をぜひレコーディングしてほしいとリクエストした。実際、帰国の翌月からピーターと共にデモ録音をスタートさせているが、アルバムが完成することはなかった。

This tour has been so special−with fun,joy and most of all−soul communication.
Kokoro O Komete Arigato Gozaimasita.
It proves to me−thru music we are trully one world−
O genki de mata I ee mashow
-Laura
※帰国前にローラ・ニーロにもらったカードに書かれていたメッセージ。

 2001年になって、生前にレコーディングされていた未発表曲やデモ録音を集めたアルバム『エンジェル・イン・ザ・ダーク』が発表された。その中にオリジナル新曲と共に収録されていた「ウォーク・オン・バイ」、「ララは愛の言葉」、「ウー・ベイビー・ベイビー」などは、ピーター・ゴールウェイと共にレコーディング途中だったカヴァー・アルバムの一部である。同アルバムが手許に届き、最後の曲が終わって暫く後に流れてきた弾き語りによる歌を聴いて一瞬、耳を疑った。 なんと、「カム・アンド・ゲット・ジーズ・メロディーズ」がシークレット・トラックとして収録されていたのだ。

 12月19日、ソニーからローラのアルバム4枚が紙ジャケットで再発される。残りの作品の早期紙ジャケ化も期待したいところだ。




【長門芳郎プロフィール】

70年代初期から後期にかけ、シュガー・ベイブ(山下達郎/大貫妙子ほか)、ティン・パン・アレー(細野晴臣/鈴木茂/林立夫)のマネージャーとして、コンサート/レコード制作に携わる。70年代末〜80年代末には、南青山の輸入レコード店パイド・パイパー・ハウスの店長/オーナーを続けながら、ピチカート・ファイヴのマネージメント、海外アーティストのコンサートをプロデュース。ヴァン・ダイク・パークス、ドクター・ジョン、リチャード・トンプソン、フィービ・スノウ、ダン・ヒックス、ジョン・サイモン、ローラ・ニーロ、ピーター・ゴールウェイ、NRBQほか多数の初来日ツアーを手がける。80年代末にヴィレッジ・グリーン・レーベル(ポニーキャニオン)をスタートさせ、海外アーティストのレコード制作に携わる。98年からは、ドリームズヴィル・レーベルのレーベル・プロデューサーとして、数多くのアルバム制作を行なっている。以上の仕事の傍ら、70年代から現在まで、数多くの洋楽アルバム/CDのリイシュー企画監修、アート・ディレクションを行い、その総数は700タイトル以上。現在音楽番組「ようこそ夢街名曲堂へ!」にレギュラー出演中。





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