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#012 2006_9月号













(1) ブライアン・ウィルソン&ヴァン・ダイク・パークス
/オレンジ・クレイ・アート
ワーナーミュージック ジャパン
WPCR-435
(2)スティーヴ・ヤング
/プライマル・ヤング
ドリームズヴィル
YDCD-0019
(3)ヴァン・ダイク・パークス/
ムーンライティング・ライヴ・アット・ザ・アッシュ・グローブ
ワーナーミュージック ジャパン
WPCR-1773
(4)マーク・セバスチャン
/BLEECKER STREET
続ブリーカー・ストリートの青春
ドリームズヴィル
YDCD-0017


 確か16年ほど前の12月だったと記憶している。ニューヨーク、ウッドストックにジョン・サイモンとの打ち合わせのため、滞在していた時のこと。ベアズヴィル劇場で、ヴァン・ダイクのライヴがあるという情報を入手。雪のウッドストックでヴァン・ダイクというのも珍しい!オープニング・アクトは、ジョン・セバスチャンの弟マーク・セバスチャン。ここはひとつ、ヴァン・ダイクをびっくりさせようと、リハーサルを覗きに行き、気づかれないように前の方の客席に座った。ヴァン・ダイクは、シド・ストロウとベーシストと3人でリハーサル中。しばらくして、私に気づいた彼は、ピアノの椅子から立ち上がり、「なんでここにいるんだ〜?ビックリしたなあ!」と驚いた表情。数カ月前、マーク・セバスチャンとLAの彼の自宅で会って以来の再会だ。500名ほどのキャパの会場は、半分程度の入り。そりゃあ、地元カリフォルニアと同じようにはいかない。演奏されたのは、大部分が『JUMP!』収録曲。小さい子供連れのお母さんもちらほら。終演後、客席に降りてきて、子連れのお客さんたちと談笑するヴァン・ダイク。彼女たちは、ヴァン・ダイクの絵本シリーズ『JUMP!』の読者たちであり、彼が伝説的なアーティスト、プロデューサーだとは、知る由もない。
 ちょうどいい機会なので、ヴァン・ダイクとジョン・サイモンを引き合わせようと思ったのだが、ジョンの到着が予定より遅れたため、実現しなかった。西のヴァン・ダイク・パークス、東のジョン・サイモンと言ってもいいほど、ふたりの鬼才がポピュラー音楽界に与えた貢献は多大であり、いくつもの共通点がある。なんらかの形で、いつかふたりの共演を実現させたいと思いつづけているのだが. . .
 1995年、ヴァン・ダイクとブライアン・ウィルソン、ふたりの名義によるアルバム『オレンジ・クレイト・アート』(1)がリリースされた。ふたりのコラボレーションは、幻の『Smile』セッションから30年ぶりのことということで、大いに話題を呼んだもの。ヴァン・ダイクの作品をブライアンが歌ったこのアルバム、本来ならヴァン・ダイク・パークス&ブライアン・ウィルソン、もしくは、フィーチャリング・ブライアン・ウィルソンというアーティスト・クレジットが正しいのだが、レコード会社の意向で、ブライアン&ヴァン・ダイクと表記されている。ネーム・ヴァリューを考えると致し方ないのかもしれないが、企画段階からアルバムのアイデアを聞かされてきた私としては、どうにも納得いかない想いがあった。当時、出たアメリカ盤CDの背表紙にも同様のクレジットがあるが、もう一方の背表紙に「Van Dyke Parks and Brian Wilson」と表記されていること、気づいたひとはいるだろうか。それは、ヴァン・ダイクのささやかな抵抗だったのだろう。
 翌年の夏、ヴァン・ダイクからサンタ・モニカにリニューアル・オープンした名門クラブ、アッシュ・グローヴで行なわれるコンサートの案内ハガキが届いた。オープニング・アクトは、彼の親友スティーヴ・ヤング(2)だという。これは、見逃すわけにはいかない。なんとか、スケジュールを調整して、急遽、ロスアンジェルスへ飛んだ。今回も突然、顔を出して驚かせようと思ったのだが、一部のチケットは予約できたものの、二部公演がソールドアウトだったため、奥さんのサリー・パークスに連絡を入れると、席を確保してもらえることになった。パークス夫妻、まさか日本から観に来るとは思ってなかったと、とても喜んでくれた。スティーヴ・ヤングのライヴは、アコースティック・ギター弾き語りだが、その存在感ある渋い歌声に引込まれてしまう。ヴァン・ダイクのステージには、リズム隊とストリングスが所狭しと並んでいる。オープニングは「Jump!」。2曲目から4曲目は、「オレンジ・クレイト・アート」、「ウィングス・オブ・ア・ダヴ」、「セイル・アウェイ」と続く。アルバム『オレンジ・クレイト・アート』では、ブライアンが歌っていたが、その夜はヴァン・ダイクがコーラスなしで歌った。その後、「ナイト・イン・ザ・トロピクス」など、日本でも演奏したゴッドシャルクの作品や『TOKYO ROSE』、『DISCOVER AMERICA』、『JUMP!』からの曲を演奏。意外だったのは、『SONG CYCLE』からの「オール・ゴールデン」をピアノ弾き語りで歌ったこと。これは、スティーヴ・ヤングのことを歌った曲だ。二部のラストでは、リトル・フィートの「セイリン・シューズ」も披露、終演は夜中1時を回っていた。この時、収録されたライヴ音源は、1998年に『MOONLIGHTING : LIVE AT THE ASH GROVE』(3)として、CD化されている。
 アッシュ・グローヴにも当然、マーク・セバスチャンが来ていたが、彼とヴァン・ダイクも長年の友人同士。1999年にリリースされたマークのソロ・アルバム『BLEECKER STREET : 続ブリーカー・ストリートの青春 』(4)収録の「テル・ハー・トゥナイト」には、ヴァン・ダイク、ジョン・セバスチャン、ジョン・リンド、ジム・ケルトナーらが参加、グッタイミーなフォーク・ロックを聴かせてくれる。あのラヴィン・スプーンフルのビッグ・ヒット「サマー・イン・ザ・シティ」は、マークが14才の時に書いた曲だ。


YOSHI/SID STRAW/VAN DYKE PARKS
@WOODSTOCK,NEW YORK
Photo by MARK SEBASTIAN


【長門芳郎プロフィール】

70年代初期から後期にかけ、シュガー・ベイブ(山下達郎/大貫妙子ほか)、ティン・パン・アレー(細野晴臣/鈴木茂/林立夫)のマネージャーとして、コンサート/レコード制作に携わる。70年代末〜80年代末には、南青山の輸入レコード店パイド・パイパー・ハウスの店長/オーナーを続けながら、ピチカート・ファイヴのマネージメント、海外アーティストのコンサートをプロデュース。ヴァン・ダイク・パークス、ドクター・ジョン、リチャード・トンプソン、フィービ・スノウ、ダン・ヒックス、ジョン・サイモン、ローラ・ニーロ、ピーター・ゴールウェイ、NRBQほか多数の初来日ツアーを手がける。80年代末にヴィレッジ・グリーン・レーベル(ポニーキャニオン)をスタートさせ、海外アーティストのレコード制作に携わる。98年からは、ドリームズヴィル・レーベルのレーベル・プロデューサーとして、数多くのアルバム制作を行なっている。以上の仕事の傍ら、70年代から現在まで、数多くの洋楽アルバム/CDのリイシュー企画監修、アート・ディレクションを行い、その総数は700タイトル以上。現在音楽番組「ようこそ夢街名曲堂へ!」にレギュラー出演中。





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