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(1) 高田渡
/フィッシング・オン・サンデー
TOKUMA JAPAN |
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(2)VAN DYKE PARKS
/JUMP!
WARNER BROS.
<輸入盤> |
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(3)VAN DYKE PARKS
/DISCOVER AMERICA
ワーナー・ミュージック
WPCR-1442 |
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(4)VAN DYKE PARKS
/CLANG OF THE YANKEE REAPER
WARNER BROS.
<輸入盤> |
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30年ほど以前のこと、細野さんに同行して、ロスアンジェルスへ行くことになったのだが、パスポートが間に合わず、悔し涙を飲んだことがある。高田渡さんのアルバムのレコーディングで、ヴァン・ダイク・パークスが参加予定ということで、色めき立ったわけだが、今、思い出しても、その場に立ち会えなかったことが、悔やまれてならない。アルバムは、1976年に『フィッシング・オン・サンデー』(1)というタイトルで発売されたのだが、ヴァン・ダイクのほか、スティール・ドラムのロバート・グリニッジ、フレッド・タケットらも加わった、ほんのりとバーバンク風味の渡さんもいいもんだ。その頃だっただろうか、私は細野さんに「ヴァン・ダイクがもし日本に来るようなことがあったら、ベース弾いてくださいね」と頼んだことがある。細野さんは、「うん。その時はやるよ」と約束してくれた。それから、10数年後の1988年夏、キョードー・プロモーションの招聘で、ヴァン・ダイク・パークスの初来日公演が決まった。いろんな偶然から、そのコンサートのスタッフとなった私は、真っ先に細野さんにヴァン・ダイクの来日を報告し、約束通り、ベーシストとして、友情参加してもらうことになった。当初は、ヴァン・ダイク・パークス・バンドという名義だったが、あまりにこじんまりしたイメージだったので、ヴァン・ダイク・パークス&ディスカヴァー・アメリカ・オーケストラという名前を付けることにした。日本で、弦、管、パーカッションなどを調達したいというヴァン・ダイクの要望があり、アメリカ側から来るトミー・モーガン、シド・ペイジ、シド・ストロウら8名に日本側からの細野さん、ヤン富田ほか、ストリングス、ホーン・セクション、パーカッションの8名も加わり、総勢17名という大所帯となる。これで、オーケストラと呼ぶに相応しいものになった。事前に細野さんの練習用に譜面を送ってもらう。12〜3曲くらいあっただろうか。普段、ベースの練習をやらないと言われる細野さんもあの時は、指に血豆ができるほど、練習を繰り返した。それは、遥々やってくるヴァン・ダイクのコンサートを成功させてあげたいという敬愛する彼への恩返しの気持ちにほかならなかった。
そして、いよいよ来日。私は、ホテルに到着したばかりのヴァン・ダイクを訪ねた。神経質なひとという先入観があり、最初、緊張していたのだが、実際はとてもフレンドリーなひとだったので、少々拍子抜け。しかし、問題発生。なんと、新たに10曲近い曲の譜面を持ってきており、細野さんに渡してくれと言うのだ。聞いてないよ〜。細野さんに電話で事情を伝えると、とりあえず持ってきてというので、その夜、細野さん宅へ。ドアが開いた瞬間「すみません!なんとかお願いします!」と平身低頭。細野さん、苦笑いしながら、追加になった譜面の束を受け取ってくれた。こうして、血豆は破れてしまうことになる。
遂に初日。ドラの音と共に緞帳が開き、演奏が始まった。あの時の得も言えぬ感動、胸の高鳴りを忘れることはできない。1時間半あまりのプログラムの内、半数が当時の最新作『JUMP!』(2)からのナンバー。さらに『DISCOVER
AMERICA』(3)、『CLANG OF THE YANKEE REAPER』(4)の曲、ジョージ・ガーシュイン、スティーヴン・フォスター、ルイ・モロー・ゴッドシャルクらの作品が次々に繰り出されるステージは、カリビアン音楽、19世紀の米南部ミンストレルショー、ハリウッド・ミュージカル映画が混在し、まるで、カレイドスコープの中を覗き込んだようなファンタジックな世界だった。
7月9日の公演終了後の楽屋では、その日、誕生日だった細野さんに内緒で、バースデー・ケーキが用意され、ヴァン・ダイクほか、バンド・メンバー、スタッフ皆で「ハッピー・バースデー♪」の合唱。細野さんのことを、最初にできた日本人の友人と呼ぶヴァン・ダイクだが、ふたりの友情は、この初来日公演での共演で、さらに堅く結ばれることになる。
(次号に続く) |