東京中野ブロードウェイ3F
中古CD・中古DVD販売店
買い取りも強化中!
ロック,シネマ,アニメーション
は、中野・レコミンツ
株式会社フジヤエービック 古物商許可番号 東京都公安委員会 第304399601273号


#006 2006_3月号













(1) VALERIE CARTER
/WILD CHILD MHCP-769
限定紙ジャケット
(2) HOWDY MOON
/HOWDY MOON UICY-9300
(限定紙ジャケット2/22発売)
(3) 町支寛二
/LOVE AND MERCY CRCP-20173
〈廃盤〉
(4)HIRTH MARTINEZ
/I LOVE TO PLAY FOR YOU YDCD-0030
(5)VALERIE CARTER
/MIDNIGHT OVER HONEY RIVER YDCD-0095
(6)ANDY FAIRWEATHER LOW
/BE BOP 'N HOLLA UICY-93007
(限定紙ジャケット 2/22発売〉


 この原稿を書いてるのは、2006年の1月下旬なのだが、27年前の丁度、今頃、私はロス・アンジェルスのロデオ・ドライヴの近くにあったARCレコードのオフィスを訪ねていた。ARCは、アメリカン・レコード・カンパニーの略で、アース・ウインド&ファイアのモーリス・ホワイトとヴェテラン・マネージャーのボブ・キャヴァロ、ジョー・ラファロらが1978年に設立したレコード会社で、CBSが発売元だった。ARCを訪問した目的は、ヴァレリー・カーターや元フィフス・アヴェニュー・バンドのジョン・リンド、ケニー・アルトマンに会うためだ。ヴァレリー・カーターは、前年にセカンド・アルバム『WILD CHILD』(1)をARCからリリース。リンドとアルトマンは、ARCの出版社シャールヴィル・ミュージックと作家契約を結んだ直後だった。オフィスの2階に上がる階段、さらに2階の廊下の壁には、EW&Fやウェザー・リポート、デニース・ウィリアムス、エモーションズ、プリンス、リトル・フィートなど、キャヴァロ&ラファロが当時、マネージメントを行なっていた人気アーティストの写真パネルと一緒にラヴィン・スプーンフルやママ・キャス、フィフス・アヴェニュー・バンドの写真が額装され、飾ってあった。そう、キャヴァロ&ラファロは、60年代初期〜後期、マグワンプス(キャス・エリオット、ザル・ヤノフスキー、デニー・ドハティ、ジム・ヘンドリクス)、ラヴィン・スプーンフル、ティム・ハーディン、フィフス・アヴェニュー・バンドなど、グリニッジ・ヴィレッジのアーティストを手がけていた敏腕マネージャー・チーム。初心忘るべからずということなのか、自分たちが昔、手がけた仕事への誇りや愛情が感じられ、うれしくなったもの。最初に訪ねたのは、ARCの顧問弁護士エリック・アイズナーの部屋。彼はフィフス・アヴェニュー・バンドの前身とも言うべき、グループ、ストレンジャーズの元メンバー。つまり、ケニー・アルトマンやピーター・ゴールウェイの昔からの友人。ヴァレリーやジョン・リンドのフォーク・トリオ、ハウディ・ムーン唯一のアルバム『HOWDY MOON』(2)収録の「思い出のノーラ・リー」はエリックの曲だし、デニース・ウィリアムスが歌った「The Boy I Left Behind」(ケニー・ランキンもレコーディング)もエリックが60年代に書いた作品だった。ここでもグリニッジ・ヴィレッジの人脈がしっかりと繋がっているのだ。
 憧れのヴァレリー・カーターは、想像通りのチャーミングな女性だった。その時は、その後、一緒に仕事をし、これほど長い付き合いになるなんて思いもしなかった。ジェイムズ・テイラーやジャクソン・ブラウンのジャパン・ツアーのバックグラウンド・シンガーとして、来日することもあったし、ある時は、パイドパイパーハウスのリユニオン・イヴェントにゲスト参加してくれ、MFQのサイラス・ファーヤーとふたりで歌ってくれたこともあった。1998年、町支寛二(元・愛奴〜現・浜田省吾バンド)のアカペラ・ミニ・アルバム『LOVE AND MERCY』(3)を制作した際、内2曲のレコーディングをL.A.で行なったのだが、コーラス・アレンジとコーラスをジェフリー・フォスケットに依頼、アメリカの「アイ・ニード・ユー」のカヴァーでは、ジェリー・ベックリー本人に、もう1曲の「ラフター・イン・ザ・レイン」(ニール・セダカ)では、ヴァレリー・カーターにそれぞれ ハーモニー・ヴォーカルで参加してもらった。後者でのヴァレリーのセクシー&チャーミングなヴォーカルは絶品で、録音時の光景を思い出すだけでも興奮してしまう。さらに2000年には、ハース・マルティネスのレコーディングにもヴァン・ダイク・パークスと共にヴァレリーに参加してもらったが、この時も期待通りの素晴らしい歌声を聴かせてくれた。3曲の内「フィーリング・ソー・ファイン」はAXIAのTVCMに起用されたので、ご覧になった方もいるかもしれない。この「フィーリング・ソー・ファイン」と「リトル・エンジェル(シング・ウィズ・ミー)」は、ハース・マルティネスのライヴ・アルバム『アイ・ラヴ・トゥ・プレイ・フォー・ユー〜ライヴ・イン・ジャパン』(3)にボーナス・トラックとして、収録。残る1曲「シング・ディス・ソング」は、オムニバス『HIT THE ROAD TO DREAMSVILLE〜夢街へ』(ドリームズヴィル YDCD-0069)及び、ヴァレリーの最新ライヴ・アルバム『MIDNIGHT OVER HONEY RIVER』(4)に収録。後者の2枚組アルバムには、2003年1月録音のリトル・フィートとのライヴ音源9曲や未発表スタジオ録音2曲も収録されている。『WILD CHILD』や最新ライヴ盤収録の中でも人気の高い「ダ・ドゥ・ランデヴー」は、イギリスのアンディ・フェアウェザー・ロウが書いた名曲だが、同曲を含むアンディの1976年のアルバム『BE BOP 'N HOLLA』(5)がアンディのほかの2作品と共に紙ジャケット再発されたので、そちらの方もぜひ聴いてみてほしい。


【長門芳郎プロフィール】

70年代初期から後期にかけ、シュガー・ベイブ(山下達郎/大貫妙子ほか)、ティン・パン・アレー(細野晴臣/鈴木茂/林立夫)のマネージャーとして、コンサート/レコード制作に携わる。70年代末〜80年代末には、南青山の輸入レコード店パイド・パイパー・ハウスの店長/オーナーを続けながら、ピチカート・ファイヴのマネージメント、海外アーティストのコンサートをプロデュース。ヴァン・ダイク・パークス、ドクター・ジョン、リチャード・トンプソン、フィービ・スノウ、ダン・ヒックス、ジョン・サイモン、ローラ・ニーロ、ピーター・ゴールウェイ、NRBQほか多数の初来日ツアーを手がける。80年代末にヴィレッジ・グリーン・レーベル(ポニーキャニオン)をスタートさせ、海外アーティストのレコード制作に携わる。98年からは、ドリームズヴィル・レーベルのレーベル・プロデューサーとして、数多くのアルバム制作を行なっている。以上の仕事の傍ら、70年代から現在まで、数多くの洋楽アルバム/CDのリイシュー企画監修、アート・ディレクションを行い、その総数は700タイトル以上。現在音楽番組「ようこそ夢街名曲堂へ!」にレギュラー出演中。





▲TOPへ
Copyright(C) FUJIYA AVIC. All Rights Reserved.