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| 長門: |
僕が祥子さんと出逢ったのは‘89年になるのかな。デビューが‘88年だよね? |
| 鈴木: |
そうです。 |
| 長門: |
たぶんパイド・パイパー・ハウスの閉店前後だけど。まだお店あった頃? |
| 鈴木: |
はい、お店を閉められる前ですね。当時、お店に行って、ミニー・リパートンのベスト盤を買った記憶があるので(笑)。 |
| 長門: |
ああ、そうだったんだね(笑)。今年でデビュー20周年ということだけど、それにしても早いよねぇ。 |
| 鈴木: |
ホント、そうですね。 |
| 長門: |
まずはデビュー前後のことをちょっと話してもらいたいんだけど。原田真二&クライシスでドラムを叩く前はどんな活動をしていたんですか? |
| 鈴木: |
その前は一風堂の藤井章司さんのローディーをやってました。 |
| 長門: |
ヤマハ主宰のイーストウエスト・コンテストに出場したんだっけ? |
| 鈴木: |
そうです。その時は、優秀ドラマー賞をもらいました(笑)。 |
| 長門: |
それって女性だけのバンドだったの? |
| 鈴木: |
はい。女の子バンドで、(松田)聖子ちゃんみたいな、キャンディ・ポップっぽい曲をやっていました。それが18歳か19歳の頃。その後、藤井さんのローディーを経て、ハコバンでドラムを叩いて、原田真二さんのクライシスに入って、キョンキョン(小泉今日子)やビートニクス(※高橋幸宏と鈴木慶一のユニット)のバッキングを経て、ソロ・デビューっていう流れです。 |
| 長門: |
ソロ・デビューのきっかけはどういうものだったの? |
| 鈴木: |
当時のプロデューサーの方が、日比谷野音かどこかでやった、クライシスのライヴを観にきてくれたんです。私、その時コーラスをしていたんですけど、どうやら私の歌声を、すごく気に入ってくれたみたいなんです。それで、会わないかって話になって。 |
| 長門: |
当時のEpicソニー・レコードは祥子さんをどういうアーティストにしようと思ってたんだろうね? |
| 鈴木: |
スザンヌ・ヴェガがヒットしていたから、アコースティックなサウンドを主体にした文学少女チックな雰囲気で売っていこうと思ってたみたいです(笑)。“普段着で出たいんですけど……”とか言ったら、“そういうのは、プロの世界では通用しない”とか言われて。髪の毛切られて、お洋服着せられて(笑)。 |
| 長門: |
祥子さんは、もともと生粋のロック少女だよね。この間の、浜離宮朝日ホールのライヴでもKISSの「ハード・ラック・ウーマン」をカヴァーしていたしね。 |
| 鈴木: |
そうなんですよ。すごくロック好きだったんですけど、デビューにあたって、文学少女的なイメージを周囲の方々が考えてくださって。 |
| 除川: |
ロックな一面が出るようになったのは7枚目のアルバム『SNAPSHOTS』(‘95年)の頃からですか。 |
| 鈴木: |
ロックっぽいことを意識してやりはじめたのは、そうですね。それまでは、そういう一面は出したらいけないんじゃないかと思っていたので。 |
| 長門: |
その後、佐橋佳幸くんがプロデュースした作品で、ヴァレリー・カーターや、リトル・フィートのビル・ペインとL.A.レコーディングしているよね。 |
| 鈴木: |
『あたらしい愛の唄』(‘99年)というアルバムですね。他にも、アーノルド・マッカラーさん、ビル・カントスさん、リー・スクラーさんと、錚々たる方々に参加してもらったんです。 |
| 長門: |
自分が好きで聴いていた海外のミュージシャンと一緒に演奏して、どうでした? |
| 鈴木: |
私がピアノを弾いて、リー・スクラーさんがベースを弾いて、一緒にリズム録りをする曲があったんですけれど、その曲がバラードだったので、最初はバラードっぽく、ソフトにピアノを弾いていたんですね。そうしたら全然、演奏が溶け合わなくて。それで、“何でだろう?”と思って、何回かやっていくうちに、試しにガンガン激しく弾いてみたら、その時初めて演奏が上手くブレンドされたんです。その時に、バラードだから弱く弾くとか、そういう考え自体が間違っていたんだなと思いましたね。L.A.でのレコーディングを通じて、“何々だから何々しなければいけない”とか、そういう固定観念に縛られていた自分に気付かされたんです。 |
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