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| 長門: |
僕はバックス・バニーのライブは観ているんですけど、確か初めてきちんと挨拶したのは、山下君のツアーバンドの楽屋が最初でしたっけ? |
| 難波: |
そうですね。確か79年頃だったと思いますよ。山下君の『GO AHEAD』発表後のコンサート、78年暮れの渋谷公会堂では、僕と坂本(龍一)教授とツイン・キーボードでやった記憶がありますから。 |
| 除川: |
長門さんが山下達郎さんのマネージャーをやられていた、笹塚の山下洋輔さんの事務所TAKE ONEの時ではないんですか? |
| 難波: |
ええ、その時は僕も出入りはしていたと思うんですけど、長門さんはもう細野さんのマネージャーだったから、丁度すれ違いだったんじゃないかな。でも、確か山下君とはあそこで、お互い印象が悪い初対面(笑)をしたんじゃないかな。お互いのデモを聴きあって、“ふん!!”とか言って(笑) “キース・エマーソンじゃねえか”とか“タヴァレスじゃねえか”とか言い合って(笑)。こんなに仲良くなるとは思わなかった(笑)。あそこはアルチザンみたいで面白かったですよね。 |
| 長門: |
うん、うん、そうでしたよね。そういえば、一番最初にやった山下君との仕事は何ですか? |
| 難波: |
確か彼の最初のシングル「レッツ・ダンス・ベイビー」だったかな?今でも僕は好運だなって思っているのは、僕と一緒にやった、センターに立つ人、金子マリや山下君らは、皆歌が上手いんだって事ですね。彼らのバックで、彼らの歌に聴き惚れながらキーボード弾いているっていうのは本当に気持ちがいいですよ。 |
| 長門: |
バックス・バニー、いやこの世界に入るきっかけってどんな感じなんですか? |
| 難波: |
僕のキーボード・プレイヤーとしてプロになるきっかけは、今でもお世話になっているPAの方に、大学時代の学祭で、“おまえプロになれるよ”って言われて、その方からのつてで、バイトで初めてやった仕事が松崎しげるさんだったんですよ。バックス・バニーは、鳴チョ(鳴瀬喜博)に“プログレじゃないぞ”って言われて、前身のスモーキー・メディスンのイメージがあったので、ハード・ロックっぽいのをやるんだろうと思っていたんだけど、ブラックな感じだったんで、びっくりしました。でも僕は黒人音楽も好きなので、違和感無く入れたと思いますね。バックス・バニーってキーボードだけ聴くと、PFMのキーボーディスト
フラヴィオ・プレーモリの影響とかがあって、密かに後ろでプログレしているなぁ(笑)と思っているんですよ。 |
| 長門: |
その頃の対バンでシュガーベイブの演奏はどうでした? |
| 難波: |
山下君本人も、石投げられたとか人気無かったとか言っていたけど、僕はサイケデリック・ロックを感じてカッコ良かったですよ。確かにノセノセの感じでは無かったですし、ステージは淡々としているし、愛想も無かったけどね(笑)。実は、75年当時のバックス・バニーのライブ映像があるんですけど、それを改めて見たら、マリが最初出てきてお客さんとケンカしているの(笑)。僕らも噛みつくような顔つきで演奏して、おまけに聴いているお客さんの態度もひどい(笑)。今みたいな予定調和は、なんか逆に気持ち悪いですよ(笑)。今考えてみると、僕らはあの頃の感じの悪いお客さんに鍛えられたんだよね。 |
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金子マリ&バックス・バニー
/ライヴ We got to.. |
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山下達郎
/レッツ・ダンス・ベイビー
(アナログ・シングル) |
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