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| 長門: |
そして’96年にはPort of Notesを結成。相棒の小島“DSK”大介さんとは、どのようにして出会ったんですか? |
| 畠山: |
大ちゃん(小島)はアメリカのバークリー音楽院に留学していたんですけど、そのルーム・メートがリトル・クリーチャーズの鈴木正人くんだったんですね。Double
Famousとリトル・クリーチャーズって、メンバーが全員同じ大学なので、そんな縁もあって、大ちゃんが正人くんに誘われて、Double Famousのライヴを下北沢ZOOまで観にきてくれたんです。それでライヴが終わって電車で自宅に帰ろうとしたら、偶然、同じ車両に乗っていた大ちゃんが話しかけてきてくれて。そのときに好きな音楽の話をしたら趣味があったんです。当時、ふたりともダニー・ハサウェイのライヴ・アルバム『ライヴ』にハマっていたり。 |
| 長門: |
それで一緒にバンドを組もうと。 |
| 畠山: |
はい。ちょうど大ちゃんが歌モノのバンドを始めようと思っていた時期だったみたいで。 |
| 除川: |
その頃、たしか、クルーエル・レコードを主宰する瀧見憲司さんに、小島さんが直接、売り込みに行ったんですよね(笑)。 |
| 畠山: |
そうそう(笑)。クラブで瀧見さんに会ったとき、“これ聴いてください!”ってデモ・テープを渡したんですけど、何ヶ月も音沙汰がなくて。その後、偶然、HMVで瀧見さんを見かけたときに、“あのデモ・テープ、聴いてくれましたか?”って言ったら、“ゴメン、まだ聴けてないんだ”って言われたみたいで。そのとき、大ちゃんは、このままだったら絶対に聴いてもらえないと思ったみたいで、お店から瀧見さんが出てくるのを待って、“絶対に聴いてくださいね!”って念を押したらしいんです(笑)。そうしたら、次の日の朝に瀧見さんから電話がかかってきたんですよ。“うちから出さない?”って。 |
| 長門: |
(笑)。たしか最初はEPをリリースしましたよね。 |
| 畠山: |
そうです。当時は、今後のヴィジョンとか全然考えてなくて。とりあえず出来た曲から出していこうみたいな感じだったので。 |
| 長門: |
瀧見さんがプロデューサー的な役割を果たしていたんですか? |
| 畠山: |
いえ、そういうわけでもなく。割と自由にやらせてくれましたね。“曲が出来たんだったら録る?”みたいな、けっこうアバウトな感じで(笑)。 |
| 長門: |
今でこそたくさんいるけど、当時、男女2人組のアコースティック・デュオって日本にほとんどいなかったと思うんですけど、誰か目標にしていたグループはいたんですか? |
| 畠山: |
エヴリシング・バット・ザ・ガールとか。なんてお洒落で素敵なんだろうと思っていました。“それに比べて、うちらは赤提灯系だよね〜”って(笑)。 |
| 長門: |
(笑)。でも、エヴリシング・バット・ザ・ガールもジャズがベースにありますよね。 |
| 畠山: |
そうですよね。あとはボサノヴァとか。そのあたりの感覚にも当時、共感を覚えたんだと思います。 |
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